ビジネスと 人生をより良く生きるための哲学
トヨタ自動車の改善チーム(2004年、最前列の左から2番目がハッサン・ジャミール氏)
ハッサン・ジャミールが語るトヨタ式「改善」と、小さな改善の積み重ねが大幅な成果につながる理由
70年前にAbdul Latif Jameel(アブドゥル・ラティフ・ジャミール)がトヨタ自動車(以下、トヨタ)とパートナーシップを結んだ時、トヨタから輸入したのは自動車だけではありませんでした。全く新しい企業経営のアプローチも導入されたのです。
一般的な「継続的改善」とは、トヨタを筆頭とする日本企業が提唱する「改善」の経営哲学に基づいてムダをなくし、リソースを最大限に活用して業務効率やパフォーマンスを高めることを指します。
1913年に移動式組み立てラインを工場に導入したヘンリー・フォードは、原始的なリーン生産工程の生みの親と言われています。しかし、フォードのアイデアを発展させ、リーン生産方式やリーンマネジメントを真の意味で確立したのは、1930年代のトヨタの豊田喜一郎や大野耐一らでした。
2人はフォード方式にインスピレーションを得てトヨタ生産方式を確立しました。それ以降、数十年以上にわたり、日本や米国を中心とする海外企業を次々に変革する火付け役となったのです。
日本人の継続的改善プロセスを意味する「改善」は、製造工程から生まれましたが、サービス事業にも応用が効きます。リーンマネジメントでは、組織があらゆる行動や活動を細かく見直し、改善ポイントを追求します。一つひとつの小さな改善の積み重ねが、大きな変革につながるのです。
サウジアラビアに拠点を置くAbdul Latif Jameel社長代理兼副会長のハッサン・ジャミールは、2000年代初頭にトヨタ本社で改善哲学を直に学び、現在も積極的に改善を推進しています。
今回は、ハッサンにインタビューを敢行し、継続的改善への熱意や、改善がどう企業経営の変革に役立つのかについて伺いました。
「継続的改善」とは何ですか?
ハッサンさんにとっての意味を教えてください。
多くのビジネス用語やコンサルタント用語とは異なり、継続的改善の定義は分かりやすくシンプルです。
その意味は、漢字2文字に込められています。「常に、現状をより良くすること」です。一見、当たり前のことを言っているようですが、実は深い意味があります。個人的に言うと、継続的改善とは、毎日自分を磨くだけでなく、いかに日常生活の中で自然に実践できるかが大事だと思っています。
毎日、何を改善できるかを考える。どんな些細なことでも、意識して毎日改善を積み重ねていけば、それはいつしか自分の一部として身についているものです。
組織も同様です。業務のあらゆる面において、毎日コツコツと継続的改善を重ねる企業文化を築くことが重要です。
つまり、社員全員が各自の役割、チームの役割、そして日常業務の一環として実行しているタスクについて、いかに能率と品質を向上できるかを継続的に考える企業文化の確立が大事だということです。一つひとつの変化は些細に見えても、塵も積もれば山となります。小さな一歩でも、積み重ねていくうちに大きな違いを生むのです。継続的改善はシンプルだからこそ、分かりやすく、効果的なのだと思います。
継続的改善のコンセプトに最初に触れたのはいつですか?
社会人になるずっと前から聞いたことがありました。父や経営幹部の人たちが継続的改善について話すのをよく耳にしていたので、ビジネスに関することだとは知っていましたが、その意味まではよく分かっていませんでした。
継続的改善は、トヨタが先駆けて提唱した「改善」の経営哲学に基づく理念です。
Abdul Latif Jameelは、1950年代にサウジアラビアにトヨタ車を輸入するようになって、この概念に触れました。しかし、継続的改善が経営哲学として世界的な脚光を浴びるようになったのは、1990〜2000年代のことです。継続的改善に率先して取り組んでいたトヨタは、2001年に改善の取り組みを公式に体系化した『トヨタ・ウェイ』を出版しました。
この経営書は世界中で反響を呼び、企業が継続的改善のコンセプトや、そのメリットについて理解するための指南書として大きな影響力を持つようになりました。
ちなみに、継続的改善は必ずしも日本の概念というわけではありません。日本の他の大手企業に行っても、トヨタほど改善について耳にすることはないでしょう。さまざまな発想を取り入れ、継続的改善のコンセプトを一貫した実践的な経営哲学に昇華させたのはトヨタです。
ハッサンさんは日本で学び、キャリア初期にトヨタで勤務されました。その経験は、継続的改善を理解する上でどう役立ちましたか?
私は日本の高校と大学に通い、休暇になるとトヨタでインターンとして働いて、あちこちで小さなプロジェクトを手伝っていました。ただ、継続的改善について実践レベルで理解できるようになったのは、2004年にトヨタ本社の改善部門に初の外国人として参画してからです。
改善部門の役割は、日本国内のディーラーと協力して改善プロジェクトの実施をサポートすることで、その大半はサプライチェーン、サービス関連事業、在庫管理などのオペレーションに関わるプロジェクトでした。数ヶ月にわたって一緒に継続的改善プロセスの構築と実践を行い、私たちがいなくなった後も継続的改善を持続できるようにサポートすることが重要な役割でした。
その経験を通じて、継続的改善について具体的に何を学びましたか?
そこでの経験は、実に大きな衝撃でした!
それ以前にも日本以外のさまざまな職場を経験しましたが、「改善」という言葉は、業務の改善を意味する漠然とした略語として使われていました。
効率の悪いプロセスがあったときに、誰かが特に深い意味もなく「改善が必要だね!」と言うのを耳にした程度です。
しかし、日本でトヨタの改善部門に配属されてから、改善には綿密に体系化された哲学があると気づいたのです。
改善のアプローチは、企業文化や働き方のあらゆる面に通じる一連の原則に基づいています。特定の業務プロセスで改善を実施する場合、まず徹底したデータ収集が 最初の任務になります。
ストップウォッチとメモ帳を持って、自動車の清掃ラインの作業員や整備工場の作業員の前に立ち、勤務中の作業員の動きを時系列に細かく記録していくのです。トイレ休憩はもちろん、ガレージにツールを取りに行ったり、持ち場を離れて誰かに質問に行ったりするようなことがあれば、それもすべて計測して記録します。
ひとつの作業に関わるスタッフ全員の動きを記録するため、すべてのデータを収集するのに1週間以上かかることもあります。データ収集が完了したら、各スタッフの記録を巨大なスプレッドシートに入力し、それを壁にかけて1行ずつチェックしながら、ムダな時間、作業時間、非効率な作業時間を特定して色分けして印をつけていきます。
当時はまだ研修生だったので、自分たちが何をしているのかよく理解できませんでした。そこで、上司に「この作業と改善に何の関係があるのですか? これが効率化につながるのですか?」と尋ねました。
そのとき、上司に「ムダな時間はありましたか?」と訊かれ、ある作業員が持ち場を離れてツールを取りに行くことが数回ありましたと答えると、「それはどのくらいの時間?」と仰るので 「データによると合計6分です」とお答えしたところ、「その時間を省くにはどうすればいいと思う?」と尋ねられました。そこで私は、その作業員が、作業場の自分の横にツールを置くようにすれば、わざわざ持ち場を離れてツールを取りにいく必要がなくなり、その6分を節約できるのではと提案しました。その時、私は6分程度では何も変わらないと考えていましたが、上司は嬉しそうに口を開き、「作業員1人につき毎日6分節約できれば、週に30分の節約になる。この作業を8人で行うとすれば、週に4時間、つまり半日以上を節約できる。それが1年続けば、さらに大きな時間の節約になるだろう。その時間で、何台の自動車を整備できると思う?」と説明してくださったのです。
私が継続的改善について本当に理解し始めたのはそのときです。上層部の誰かが考えるような、高価で大がかりなソリューションで職場の変革を試みることではなく、現場でコツコツと小さな改善を重ねることこそが、真の意味で持続可能な違いをもたらすのだと学びました。
また、ある時には、ディーラーのストックヤードの塗装作業をしたこともありました。外部業者に頼らず、私たちだけで10日程度かけて仕上げました。とても大変でしたよ!雨や風でも、雪が降っても、外で作業を続けました。私が「なぜストックヤードの塗装を業者に委託しないのですか?」と上司に尋ねたところ、「自分たちで作業すれば、プロセスを把握でき、どう改善していけばいいかが分かる。来年はもっと効率良く作業できるだろう。業者に委託すれば、そのノウハウは得られない」と説明してくださいました。
大がかりなアイデアではなく、小さな変化の積み重ねを大切にする信条は素晴らしいですね。ビジネスでは往々にして、根本原因を深く分析するより、手っ取り早くお金で解決しようとしがちです。
まさにその通りですね。
私の上司が仰っていたのは、問題解決には足し算思考ではなく、引き算思考が大切だということです。
つまり、問題が発生したときに新しいプロセス、投資、最新技術を投入して解決しようとするのではなく、現状のムダを探り、それを排除してゼロにするということです。作業や時間のムダをすべて排除していくと、作業に本当に必要な「クリティカルパス」が見えてきます。
それを土台にして、段階的な改善を試みるのが理想的ということです。
継続的改善が大手メーカーに役立つことは容易に分かるのですが、中小企業やサービス業などにも応用できるのですか?
継続的改善は、人生のあらゆることに応用が効きます。
トヨタ・ウェイで説明されている方法論の中に「現地・現物」と「現場」があります。この2つはいずれも、職場の業務プロセスを実際に目で確かめ、現場スタッフの話を聞き、どう作業を進めているかを把握するだけでなく、その理由についても理解した上で、問題を「自分ごと」として捉えることを重視しています。
それは、工場や生産ラインだけでなく、オフィスにも応用できます。
私はトヨタにいた頃、週に1回はオフィスで仕事をしていました。上司がオフィス中を回り、経理担当者と打ち合わせをしたり、オペレーション担当者の話に頷きながら、質問したりメモを取ったりしているのをよく見かけたものです。それこそが「現地・現物」の実践です。上司は現場のスタッフと時間を過ごし、業務プロセスやスタッフが現在直面している問題を直に把握していたのです。
そこには、リスペクトが大きな部分を占めています。社員、ディーラー、そしてお客様へのリスペクトの精神です。リスペクトとは、単に誰かに親切にしたり、挨拶を交わし合うことだけではありません。
方針や手順、規格を導入し、リスペクトが自然に生まれる職場環境を築くことでもあります。社員が尊重されていると感じ、一人ひとりが責任を持ってパフォーマンスの向上に取り組み、積極的に意見やアイデアを出せる社風が大事だということです。
もちろん、継続的改善のメインとなるのは、時間を含めたさまざまなムダを排除することです。業種を問わず、どの企業でも不要な会議、長くて分かりにくい報告書、煩雑な手続きといった時間のムダがあります。こうしたムダを改善のアプローチで排除すれば、業務効率や生産性を向上させることができるのです。
Abdul Latif Jameelでは、職場における継続的改善のアプローチにどう取り組んできたのですか?また、どのような効果がありましたか?
Abdul Latif Jameelには、「ベスト・イン・タウン」という、改善に特化した包括的なプログラムがあります。これはトヨタが提唱する取り組みで、「ベスト・イン・タウン」と呼ばれるのには理由があります。街で1番になるためには、地元の市場とお客様のニーズを熟知し、街のニーズに継続的に応える必要があります。「世界一」のような漠然とした目標を掲げるより、「街で1番」を目指す方が、より身近で意味のある価値をお客様に提供できるのです。
そこで、Abdul Latif Jameelでは、継続的改善を推進するために「ベスト・イン・タウン」チームを発足し、Abdul Latif Jameelの傘下にある幅広い事業やロケーションに継続的改善の理念とノウハウを伝え、業務に浸透させるための活動を実施しています。サウジアラビアで開催されたベスト・イン・タウン 2023(地域会議)には、世界中の「ベスト・イン・タウン」チームから150人以上が参加し、さまざまな事業や業種で継続的改善を実施した経験や、そこから得られた洞察、成功事例などが報告されました。
Abdul Latif Jameelの社員からは改善の取り組みについてどのような反応がありましたか?
非常に好評です。経営陣だけでなく、お客さまやクライアントと日々接している現場のスタッフに受け入れてもらえることが重要なので、こうした前向きな反応を喜ばしく思っています。
「ベスト・イン・タウン」を導入していないロケーションを訪れると、ポジティブな噂を聞きつけたスタッフがやってきて、導入の予定はいつかと尋ねられます。
今後、Abdul Latif Jameelが成功を継続する上で、継続的改善の精神はどう役立つと思われますか?
私たちは、継続的改善の理念を掲げ、永続的に実践していく企業文化の醸成を事業目標に掲げています。
もちろん、たやすく達成できることではありません。しかし、Abdul Latif Jameelの企業文化に継続的改善の土壌が根付き、意識せずとも誰もが自然に継続的改善を実践できるようになれば、そして継続的改善の理念の下に育った若手リーダーの活躍があれば、それは成功への大きな推進力となるはずです。
現在はそこまで達していませんが、最終的にそこに到達することを目指しています。
ハッサンさんは、若い頃にトヨタの本社で改善文化を直に体験しました。そのことは、ハッサンさんの人生観にも影響を及ぼしましたか?
基本的に、改善の教えは人生をシンプルに見る方法だと思っています。そのことが一番、私の人生観に大きく影響していると思います。私は、物事をできるだけシンプルに捉えるようにしています。なぜなら、物事を複雑化するほどソリューションも複雑になるからです。改善は、毎朝のベッドメイキングなどの些細なことから始まります。小さな変化でも、それを実践することで1日を小さな成功からスタートできるのです。
また、常に自分を磨き、謙虚な姿勢を貫くことが大事だということも学びました。
私は今でも、父がトヨタ自動車の創業者である豊田章一郎氏と会食したときのことを覚えています。
「トヨタ・ウェイ」についてひとしきり話した後、父は彼に「あなたにとって、トヨタ・ウェイは何を意味するのですか?」と尋ねました。
すると、豊田博士は 「それについては、今も学んでいるところです」とお答えになったのです。
後に、そのお言葉の意味を反芻することがありました。その時気づいたのです。
これこそが「謙虚」の精神なのだと…。
誰もが常に学び、向上できると心に刻み、謙虚な姿勢を保つこと。その精神を体得し、常に前進し続けることこそが改善の真髄なのだと学びました。
Abdul Latif Jameelは、継続的改善に対するコミットメントの一環として、2017年にコンサルタント会社のFour Principles(フォー・プリンシプルズ)と合弁会社を立ち上げ、中東地域を中心とする官民機関への継続的改善の推進に努めています。