未来の食糧を探して
最新技術による食糧システム変革
先進国では、食料の供給が安定していることは当たり前と思われていますが、どこの国でもそうであるわけではありません。
世界の飢餓撲滅は、2030年を見据えて採択された2015年の持続可能な開発のための2030アジェンダの中で、国連の持続可能な開発目標・SDGs(目標2)として掲げられていましたが、数年前と今ではその実態は大きく異なっています。
国連食糧農業機関(FAO)[1]によると、新型コロナウイルス感染症の発生による収穫量の減少や地球環境問題の逼迫にも関わらず、世界の食料需要量は増加の一途を辿っています。
FAOの報告によると、2020年に飢餓に苦しんだ人は7億2,000万人を超え、その数は2019年に比べアジアで5,700万人、アフリカで4,600万人、ラテンアメリカ/カリブ海地域で1,400万人増加しています[2]。
今年、2022年の食糧市場は新たな暗雲に包まれています。ウクライナ情勢が世界有数の「穀倉地帯」の収穫に影響を与えているからです。世界銀行は、食料価格が37%上昇して貧困や栄養不足に陥る人口が急増すると予測しています[3]。
アントニオ・グテーレス国連事務総長は「早急に対策を打たない限り、数億人に上る大人や子どもに長期的な影響を及ぼしかねない世界的な食糧危機が差し迫っていることは明らかだ」と述べ、世界は過去半世紀で最も深刻な食糧危機の瀬戸際に立っていると警鐘を鳴らしました[4]。
食料需要量の観点から見ても、食糧問題がすぐに解決しそうな気配はありません。
世界人口は、2050年までに現在よりも20億人増の100億人に達すると予測されており、特にサハラ以南のアフリカの人口は倍増すると考えられています[5]。
気候変動危機が、世界飢餓を悪化させる可能性はすでに明らかです。海洋酸性化が進んでホタテやカキが死滅し、サイクロンや干ばつで農作物が荒れ、洪水で海水が水田に流入しています。現在の傾向がそのまま続くと、今世紀末までにトウモロコシの収穫量は28%、小麦は22%、大豆は12%、米は11%低下する可能性があるという調査結果も発表されています[6]。
解決策を見出すのは簡単ですが、それを実行するのは容易ではありません。
世界の食糧システムにおける食料流通量を増やし、栄養を確保し、より経済的で効率的な生産体制を確立し、それを公平に分配していく仕組みが必要なのです。
これまで食糧の生産は、機械の改良、遺伝子の改良による丈夫な種子や強力な肥料を通じて進歩してきました。こうした分野で開発が進む一方、デジタル化やコネクティビティなどの最新技術も、食糧安全保障の実現に役立てられています。
ローデータからロボットまで
世界中の農場が悪天候に晒され、貧しい農業地帯で紛争が増加している現在、農村のレジリエンスを高め、栄養価の高い作物の収穫を最大化するためにさまざまな技術が活用されています。
上記の背景から、世界経済フォーラムは、さまざまな開発段階にある有望な技術戦略を特定しています。
新興国におけるモバイルネットワークの普及に伴い、農家が農業データを記録・共有したり、市場と連動し、金融サービスにアクセスできる次世代アプリが展開されつつあります[7]。つまり、植え付けから施肥、収穫、販売までのフードチェーンの効率化が進んでいるということです。
そうしたデータ共有技術とはどのようなものなのでしょうか? 黎明期の段階ではあるものの、そうした技術はすでに導入されています。
例えばアフリカでは、エジプト、エチオピア、スーダンの野菜農家がすでにリアルタイムの気象データを活用して気候変動の予測を行っています。一方、アジアでは、モンゴルの牧畜農家が病気の発生を警告する技術を応用して家畜の健康管理を行っています。また、グローバルサウスでは、農民がSMSネットワークを通じて交流を行い、苗の植えつけや栽培技術の選択に関するアドバイスを交わすケースが増えています[8]。
こうした画期的なコネクティビティを通じて、農家は輸送ロジスティクスの調整、飼料などの生鮮品の交換、種や肥料の確保、将来の環境を見据えた飼養規模の最適化などが可能になりました。
農業技術の進化は、単なるデータ共有や高速接続だけに留まりません。
世界的なコンサルティング会社、McKinsey(マッキンゼー)は「AI、分析機能、コネクテッドセンサーなどの最先端技術は、収穫量の増加をはじめ、水やりや施肥の効率化など、作物栽培と畜産全体の持続可能性とレジリエンスを向上させる可能性がある」と予測しています[9]。
次世代の農業機械も、さまざまな形で食物栽培のあり方を大きく変革していく可能性があります。
- ドローン農業:地上センサーによる監視に加え、ドローンによる監視や遠隔画像解析を活用して大規模な耕作地の管理を自動化することで、収穫量を増加したり害虫などの被害を低減できます
- スマート家畜モニタリング:ボディセンサーデータと動体追跡技術により、畜産の病気を減らすと同時に、畜産の成長を最大化するための飼料と薬の比率を管理できます
- 自律走行型農業ロボット:作物栽培も畜産も、将来的には、センサーデータ、GPS情報、高度な画像解析の組み合わせによって意思決定を行う自律型装置や自律走行型農業ロボットによる作業効率化の恩恵を受けることになるでしょう
- 建物設備のスマート管理:最適なメンテナンスプログラムとリアルタイムの環境調整により、コストのかかる農業インフラや機械の性能を向上し、耐用年数を伸ばすことができます
世界の複数の企業は、すでにコンセプト実証の段階から先の技術開発を進めています[10]。
例えばスイスのecoRobotix(エコロボティクス)が開発した自律型除草ロボットは、必要な肥料や農薬を95%削減すると同時に生産コストを40%以上削減できる可能性をもたらしています。また、Gamaya(ガマヤ)は、デジタル農業の実現に向けてハイパースペクトルカメラを搭載したドローンを提供しています。SenseFly(センスフライ)もまた、農業戦略の向上に役立つ地理空間データを収集するドローンを製造しています。一方、Cleangreens(クリーングリーンズ)はより経済的で環境効率の高い作物を生産するための移動式エアロポニックスシステムを製造しています。
他の目立たない分野でも、画期的なアイデアや発想が役立てられています。例えば、現在、特殊なナノ粒子コーティングで細菌を撃退するパッケージが開発されています[11]。これにより、パッケージ商品の賞味期限を延ばせるだけでなく、米国で年間40%もの食品が廃棄されているといった食品廃棄問題にも貢献できます[12]。
加速を続ける進化
科学者が生物のDNAを追加、削除、変更することを可能にする「遺伝子編集」技術は、より丈夫で栄養価の高い作物を作るためにすでに応用されています。
主食となる油糧作物や園芸作物は、メガヌクレアーゼ、ジンクフィンガーヌクレアーゼ、転写因子様ヌクレアーゼ、CRISPR(Clustered Regularly Interspaced Short Palindromic Repeats)システムなどのツールにより(従来の品種改良よりはるかに効率良く)改良されています[13]。CRISPRは、近年、特に汎用性と費用対効果の高い技術として注目されています。
上記の技術を組み合わせることで、世界の食料供給を増やすだけでなく、栄養価の向上、病気への抵抗力の強化、アレルゲン対策などを実現できます。土壌や植物の生態系をよりきめ細やかに管理するミクロ管理により、環境負荷の高い化学物質への依存を低減し、食糧生産に変革をもたらすことができる可能性を秘めているのです[14]。
農業バイオテクノロジーの発展により、微生物が脚光を浴びています。特に、特定の細菌、菌類、藻類を利用して微生物叢を調整する方法が注目されています。
大気中の窒素を微生物の働きで水溶性硝酸塩に変換し、天然肥料として利用できることはすでに実証されています。また、厳しい気候や乾燥に耐え得る作物を作る種子処理は、持続可能な生産の実現に役立ちます。
現在も研究中ではあるものの、次世代シーケンス技術の発展により研究開発は加速的に進展しています。合成マイクロバイオームをはじめ、土壌と水の健全性を調べる最新診断技術やバイオマーカーを活用して土壌構造や作物の栄養価を高める新たな分野の研究も進んでいます。
ただし、こうした技術はまだ進化の途上であり、生態系解析の精度を向上したり、微生物と植物の分子コミュニケーションを解明していくためには更なる研究が必要です。しかし、欧州委員会の世界バイオエコノミーフォーラムが食料供給の安定化と栄養価の向上に向けてマイクロバイオームを推進し、米国が2016年に作物や土壌に関するイノベーションを加速するための国家マイクロバイオーム構想(National Microbiome Initiative)を打ち出すなどしていることから、政府支援の見通しは明るいと思われます。
ラボ・グロウン・ミート:文化的転換
タンパク質は、人間の成長と発達を促し、身体の組織の組成や修復力を養う大事な栄養素です。これまで、動物の精肉が主要なタンパク源のひとつとして考えられてきましたが、その環境負荷が明らかになるにつれ、論争の的になりました。
家畜生産で必然的に排出されるメタンは、環境への有害性が二酸化炭素の最大34倍であるという研究結果が発表されています[15]。特に、牛肉は、タンパク質100gあたり約50kgの温室効果ガスを排出します。ある推定によると、畜産に起因する総排出量は、年間7.1ギガトンの二酸化炭素排出量、人為的な温室効果ガス排出量の14.5%に相当します[16]。
代替タンパク質源として、特に植物性タンパク質(大豆、エンドウ豆、菜種)、昆虫(飼育動物の生餌用のコオロギ、バッタ、ミールワーム)、マイコプロテイン(菌類バイオマス)などが広く知られるところになりました。しかし、今後数十年で更なる人口増加が予想されるため、現在では培養肉やラボ・グロウン・ミートに投資が集中しています[17]。
培養肉は、2013年に世界初のラボ・グロウン・ミートを使用したハンバーガーが話題になって以来、更に開発が進められてきました。培養肉の研究への投資・取引件数は2016年には6件(約600万米ドル)だったのが、2020年には49件(約3億6,600万米ドル)と過去最高を記録しています。[18]
ラボ・グロウン・ミートとは、平たく言えば、高度な組織培養技術を駆使して試験管内で親株から動物細胞を繁殖させ、同一のタンパク質を含む筋肉組織を(理論上)無限に作り出すというものです。
専門的に説明すると、まず動物から生検で筋肉細胞を採取し、研究室で分離・培養します。この細胞は、バイオリアクター(繊維細胞の浮遊培養)の中で、特定の栄養素をブレンドした培地で培養されます。最後に、筋肉、脂肪、その他の消化物を含む組織に加工され、ひき肉やハンバーガーなどの最終製品が生産されます[19]。
この分野は、さまざまな意味で成長産業といえます。
現在、世界中の60社を超えるスタートアップ企業が、ラボ・グロウン・ミートの技術開発に取り組んでいます。その多くは、塩類、糖類、微量栄養素、アミノ酸などの構成要素から、最も効率的な培地を作成するための研究です。培地の費用は現在、1リットルあたり数百ドルに上ります。規模の経済を実現するためには、1リットルあたり約1ドルまで価格帯を下げることが必要です。
未来の食糧パイプラインの設計にはまだ多くの課題が残されており、政府機関や民間企業による賢明な投資が求められています。
官民共通の目的
2014年にCommunity Jameel(コミュニティ・ジャミール)とMITが共同でマサチューセッツ工科大学内に設立したAbdul Latif Jameel Water and Food and Systems Lab(J-WAFS/アブドゥル・ラティフ・ジャミール 水・食料システム研究所)は、より公平で持続可能な方法により世界の食料供給の安定化を実現するための画期的なフードテック研究に貢献しています。
現在進行中の研究プロジェクトは、J-WAFSの幅広い理念を反映しています。以下の画期的なプロジェクトはその一例です。
- 遺伝子コピー数の変更や移動性DNAの活性化により作物の遺伝的変異を誘発し、熱や塩分増加に強い変種を同定する[20]
- 汚染された食品が消費者に届く前に加工現場で食中毒菌を検出し、食品回収や病気の発生件数を減少させる[21]
- アクアカルチャーワクチンの性能向上により、タンパク質豊富な水産物の需要増に対応する[22]
- 蒸発冷却と放射冷却のハイブリッド技術により、非電化地域における食品の賞味期限を延長する[23]
- 代謝工学を活用し、酪農廃棄物を食品・飼料の原料に変換する[24]
- 作物の収穫量を維持しつつ、窒素肥料の使用量を削減し、零細農家の作物管理の効率化を可能にする分光センサーを開発する[25]
Jameel Investment Management Company(JIMCO/ジャミール・インベストメント・マネジメント・カンパニー)が戦略資産ファンドを通じて、世界のフードテックと持続可能な農業プログラム支援に貢献していることも喜ばしい限りです。
しかし、研究所や民間投資家だけでは、食糧安全保障を実現することはできません。世界各国の政府が堅実な研究と投資の基盤を迅速に構築することで、将来的に世界中の人類に必要な栄養を行き渡らせることが可能になります。
食糧安全保障の専門家は、さまざまな補完的戦略を提案しています。
政治家は、科学者や投資家と協力して食品技術の拡大を目指し、既得権益、ベンチャーキャピタルの不足、インフラ不足、規制などの障壁を乗り越えていく必要があります[26]。
同時に、農業と食品技術に革命をもたらす「コネクティビティ」の可能性も引き続き重視していくことが大切です。コネクティビティ分野の牽引役と考えられている米国ですら、データ共有を最大限に活用している農場は全体のわずか4分の1に過ぎません。ハードウェアとソフトウェアの低価格化が進む中で、IoT(Internet of Things)技術を活用すれば、農作物や家畜の高度な監視機能への投資を1年目に回収できる可能性もあります[27]。
しかし、将来的に収穫量を最大化するには、次世代分析アプリケーションを広く導入する必要があり、そのためにはLPWAN、5G、低軌道(LEO)衛星などの最先端技術による低遅延・広帯域のコネクティビティが必須となります。
最新技術を展開して食糧システムを変革することは、農場から研究所に至る壮大なミッションです。今、適切な技術に投資することで、将来の緊急事態に大きな社会的被害が発生することを防ぐことができます。
世界中にいる何百万人もの人々にとって、食糧安全保障は、人類の健康、地球環境の持続可能性、経済回復力、人口増加などの主要な課題と密接に関わっています。エネルギーシステム変革と同様に、最新技術がもたらす貴重なチャンスを捉え、世界の食糧システムを変革することが官民の責務なのです。
[1] https://www.fao.org/state-of-food-security-nutrition
[2] https://www.fao.org/state-of-food-security-nutrition
[3] https://www.worldbank.org/en/topic/agriculture/brief/food-security-update
[4] https://www.theguardian.com/society/2020/jun/09/world-faces-worst-food-crisis-50-years-un-coronavirus
[5] https://institute.global/policy/technology-feed-world
[6] https://www.theguardian.com/environment/2022/apr/22/climate-food-biodiversity-five-charts
[7] https://www.weforum.org/agenda/2018/03/food-security-s-social-network
[8] https://www.weforum.org/agenda/2018/03/food-security-s-social-network
[9] https://www.mckinsey.com/industries/agriculture/our-insights/agricultures-connected-future-how-technology-can-yield-new-growth
[10] https://www.lombardodier.com/contents/corporate-news/responsible-capital/2021/january/how-technology-is-changing-the-f.html
[11] https://www.israel21c.org/killer-paper-for-germ-free-food-packaging/
[12] https://www.forbes.com/sites/nicolemartin1/2019/04/29/how-technology-is-transforming-the-food-industry/?sh=7050b49f20a3
[13] https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fpls.2020.577313/full
[14] https://institute.global/policy/technology-feed-world
[15] https://unece.org/challenge
[16] https://www.fao.org/news/story/en/item/197623/icode/
[17] https://www.mckinsey.com/industries/agriculture/our-insights/alternative-proteins-the-race-for-market-share-is-on
[18] https://institute.global/policy/protein-problem-how-scaling-alternative-proteins-can-help-people-and-planet
[19] https://www.newscientist.com/article/mg24032080-400-accelerating-the-cultured-meat-revolution/
[20] https://jwafs.mit.edu/projects/2021/new-approach-enhance-genetic-diversity-improve-crop-breeding
[21] https://jwafs.mit.edu/projects/2021/site-analysis-foodborne-pathogens-using-density-shift-immunomagnetic-separation-and
[22] https://jwafs.mit.edu/projects/2021/precise-fish-vaccine-injection-using-silk-based-biomaterials
[23] https://jwafs.mit.edu/projects/2021/hybrid-evaporative-and-radiative-cooling-passive-low-cost-high-performance-solution
[24] https://jwafs.mit.edu/projects/2021/converting-dairy-industry-waste-food-and-feed-ingredients
[25] https://jwafs.mit.edu/projects/2021/accurate-optical-sensing-efficient-fertilizer-use-and-increased-yield-small-farms
[26] https://institute.global/policy/technology-feed-world
[27] https://www.mckinsey.com/industries/agriculture/our-insights/agricultures-connected-future-how-technology-can-yield-new-growth