気候変動との戦いには、真の意味での人知の結集が求められます。これには、排出量ネットゼロという概念的な革新、産業の脱炭素化における工学的創意、スマートシティの構築における物理的な創意工夫が含まれます。世界全体で、かつてないレベルで技術力と構想力を融合し、この惑星のオーバーヒートによる壊滅的な影響を防がなければなりません。

私たちのこの取り組みに「量子コンピューティング」という新たな援軍が加わるとしたら、この挑戦はどれほどたやすいものとなり、このゴールがどれほど現実味を帯びるでしょうか?

私たちは、その答えを見つけようとしています。

量子コンピューティングという言葉は皆さんも聞いたことがあるでしょう。しかし、特に気にかけなかったかもしれません。その分野で働いていない限り、日常生活には、これまであまり影響しない言葉だったはずです。しかし、すべてが計画どおりに進めば、その状況が一変するかもしれません。

量子コンピューティングは、多くの専門分野にわたるテクノロジーになると想定され、最先端の数学、物理、およびコンピューターサイエンスを融合して、かつてないパワーとスピードを持つプロセッサーを設計します。

この技術では、重ね合わせもつれと呼ばれる、原子より小さいレベルの粒子に特有の物理的挙動である、量子力学的効果を利用して、従来の(マイクロ)トランジスタで動くコンピューターよりも劇的に速く問題を解決します。

そしてこのスピードこそが量子の可能性における鍵です。量子技術は、最も強力なスーパーコンピューターの1億5800万倍高速で、現代のスーパーコンピューターが1万年かかるであろう処理を200秒で終わらせることができると推測されています。[1]

1万年分を秒単位で解析

ではその仕組みとはどのようなものでしょう? 従来のコンピューティングは、与えられた問いに対して1または0(Yesまたはno、オンまたはオフ)を表現するバイナリトランジスタを使用しています。一方、量子コンピューティングでは、量子ビット、つまり「キュービット」の力を利用しており、量子ビットは、同時に1と0を表現する、重ね合わせの状態をとることができます。

このように状態を多重に持つことで、例えばわずか30キュービットの量子コンピューターが、1秒あたり100億回の浮動小数点の演算命令を実行できるようになります。[2]このような潜在能力により、空気力学モデリングや創薬、サプライチェーンの最適化、遺伝子治療など、複雑で手間のかかる研究分野が飛躍すると考えられます。

密接にリンクしたシステム内のある関連する粒子を観測することで、量子プロセッサーは別の粒子について推測することができます。これがもつれと呼ばれる特性です。例えば、あるキュービットの時計回りが対応するキュービットの反時計回りと一致しなければならないとします。あるキュービットの量子状態を観測することで、その波動関数が収縮し、その状態は、距離に関わらずもう一方のキュービットと相関します。これにより、非常に複雑な計算処理を瞬時に解くことができるようになります。このように量子コンピューティングの能力は、キュービットの数に従って指数関数的に増加していきます。

「量子コンピューティング」という言葉自体が、従来のブーンと音がするデスクトップPCやホコリにまみれたキーボードを思い起こさせるものであるため、少し誤解を招くかもしれません。実際は、量子コンピューティングと従来のコンピューティングは2つのパラレルワールドであり、類似点はあるものの、数多くの相違点があります。最も重要な違いについて以下に3つ挙げます。

  • プログラミング言語: 量子コンピューティングにはそれ自体のプログラミングコードがなく、固有のアルゴリズムの開発と適用が必要です。
  • 機能: 量子コンピューターは、今日、私たちが毎日使っているパーソナルコンピューター(PC)とは違い、一般に普及させるためのものではありません。非常に複雑であるため、企業、化学、テクノロジー分野のみで利用されます。
  • アーキテクチャー: 量子コンピューターのアーキテクチャーは従来のコンピューターよりもシンプルで、メモリやプロセッサーはありません。量子コンピューターを動かす装置は、キュービット一式だけです。

量子コンピューティングが発展していけば、最適化、機械学習、物理体系や分子化学体系のシミュレーションという3つの大きな分野で、画期的なアプリケーションが生まれ、現在最速かつ最強の「スーパーコンピューター」を凌駕する結果を得ることができるでしょう。[3]

  • 最適化:産業界における改善は、通常、予測が難しく、実験にも高い費用がかかります。しかし、量子コンピューティングなら、複数の変数を巧みに操って予想もしなかったような効率を生み出すことができます。例えば、原料コストの削減、ロジスティクスの合理化、製品性能の改良、最終的には費用対効果の向上が考えられます。量子コンピューティングは、最小の努力とリスクで「良い」を「すばらしい」へと転換できます。
  • シミュレーション:従来のコンピューターでは、効率または正確性の面で、2つの複雑な特性間における相互作用の質を計算できません。量子コンピューティングなら、素材をシミュレートし、ほぼ無限に反復を実行することで、以前は実践方式で時間がかかっていたプロセスを自動化できます。分子間の相互作用が明らかになることで、新しい種類の薬や素材、化学物質を生み出す助けとなります。
  • 機械学習:量子強化学習(量子コンピューターでクラシックデータを分析するアルゴリズム)は、従来の機械学習にすでに慣れ親しんでいる企業や産業にさらなる価値をもたらします。新たな量子ツールは、計り知れないほど高速な計算速度と大きなデータストレージ容量を提供します。

それでは、量子コンピューターにこれほど大きなメリットがあるのであれば、遅いマイクロチップ型の祖先をいまだに引退させていないのはなぜでしょう? なんといっても、量子コンピューティングの飛躍的進歩は、毎週のように報告されており、このセクターは若く聡明な人材を引き付け、量子分野のスタートアップ企業は世界中から熱烈な資金提供を受けています。では、なぜ遅れているのでしょうか?

熱狂と楽観論が広がる一方で、この技術はまだ開発途中にあります。NISQ(ニスク:Noisy Intermediate Scale Quantum:ノイズのある中規模の量子コンピューター)デバイスの現世代は、キュービットの品質と安定性にエラーが出る傾向があり、このインコヒーレンスと呼ばれる状態がパフォーマンスに制限をかけています。

しかし、技術が絶えず磨かれていけば、真の量子革命は私たちが考えるより早く訪れるかもしれません。現在のトレンドは、フォールトトレラント量子コンピューター(論理エラーの比率が任意に低いレベルであるコンピューター)の第1世代が2020年代の終わりまでに市場に出荷される可能性があることを示唆しています。この時期が、気候変動への対策という目標が明確に視野に入ってくる時期になるでしょう。

産業を活気づけ、炭素を回収する

ネットゼロ排出目標の達成は、現在の技術ではほぼ不可能に見えてきました。残念ながら、2021年の国連気候変動会議(COP26)の公約を完全に忠実に実行したとしても、2050年までに予測される地球の気温上昇は1.7℃~1.8℃となり、気候変動による最悪の影響を防ぐために必要と考えられている1.5℃以下の範囲をはるかに超えています。[4]

その一方で、量子コンピューターの巨大な可能性がこの厳しい予測をひっくり返す可能性があります。一部の人々は、量子コンピューティングが、2035年までに年間7ギガトンを超える炭素の削減を実現する技術開発を進展させ得ると予測しています。これは、すぐにでも1.5℃という目標を再び実現可能にする数値です。

量子コンピューティングは、スケールアップを最も必要とする技術の普及を促進したり、介入しても効果がないと考えられていた排出量が多いセクターの環境保護意識を向上させることで、多大な貢献をするでしょう。量子コンピューティングのビジョンが明らかになるにつれ、今後数年のうちに私たちが具体的に期待できることは何でしょうか?

充電大容量かつ堅牢な電池は、風力発電や太陽光発電などのさまざまなエネルギー源のためのグリッドスケールストレージに必要不可欠です。しかし、バッテリーのエネルギー密度の向上率は、2011年~2016年の50%の密度向上から、2020年~2025年の推定17%上昇と、急激に失速しています。量子コンピューターが、電解質複合体の形成をさらに詳細に分析できるようになれば、カソード/アノードの代替物質を示し、バッテリーセパレーターを不要するかもしれません。

ある研究によると、グリッドスケールストレージにかかるコストを半分にできれば、太陽光の利用が2050年までに欧州全体で60%増加する可能性があるとのことです。[5]同時に、バッテリーのエネルギー密度が50%向上すると、重量物積載車量などに幅広く適用されるため、商用利用が促進することが予想されます。

農業低メタンの飼料添加物によって、現在7.9ギガトンの畜牛によるCO2年間排出量の90%を削減できる可能性があります。量子コンピューターには、牛の消化管の良くない環境において、抗体が正しい微生物に付着することを助けるメタン対策ワクチンの開発を支援できる可能性があります。

二酸化炭素の回収:大気からの炭素の回収と貯留は原則的に機能しますが、現在のところ、法外に高い費用がかかります。量子コンピューターなら、「発生源での回収」と「大気中の直接回収」の技術の両方で劇的にコストをカットできます。

発生源での回収メソッドでは、工場の溶解炉など汚染濃度が高い発生源から直接CO2を回収します。量子コンピューターでプロセス全体での多層溶媒に対して最適な分子構造をモデル化して、CO2発生源で幅広く回収効率を向上させ、最大で半分までコストをカットできるでしょう。

大気中からの直接回収メソッドでは、非常に費用がかかり、大量のエネルギーを消費するシステムを使って、CO2を直接回収します。量子コンピューティングは、今日の同様の技術よりも効率的にCO2を処理できる金属有機構造体(MOF)など、新しい吸収体を立案する力になることができるでしょう。

電力と燃料:現在の結晶シリコンの太陽光電池は、約20%の効率で動作します。量子コンピューティングなら、ペロブスカイト結晶構造に基づき、40%の効率の太陽光電池を実現できる可能性があります。ペロブスカイトは耐久性に欠け、一部の組み合わせでは毒性を持ちます。量子コンピューターであれば、異なる母材原子を使用した複数の配列でペロブスカイトの構造をシミュレーションすることで、耐久性が高く毒性のない、また太陽光発電のコストを半減させるかもしれないソリューションを考案できるでしょう。

生産にコストがかかり、エネルギーも消費するアンモニアは、目下のところ世界エネルギー利用の2%しか占めていません。バイオ電極触媒であるニトロゲナーゼは、現在の価格の何分の1かの費用でクリーンにアンモニアを製造できるかもしれない、魅力的な可能性を持っています。このプロセスは人工的に「窒素固定」を再現するものです。この窒素固定によって、植物は直接大気から窒素を吸収し、アンモニアに変換します。ニトロゲナーゼは、室温かつ1バールの気圧で作用し、現在の500℃で行われるハーバー・ボッシュ法より効率面で上回ります。この技術はまだスケールアップできる段階にはありませんが、量子コンピューターが酵素安定性と生産量の低さに関する問題を迅速に解決すると期待されています。肥料産業のCO2の削減とは別に、船舶燃料としてのアンモニアの広範な採用が10年間早くなることにより、推定67%のコスト削減が促進される可能性があります。[6]

グリーン水素はその高いコストが敬遠される要素になっていますが、電気分解プロセスを改良することで、最終的に天然ガスと商業的に同等にできる可能性があります。水を「分離」するために使う現世代のポリマー電解質膜(PEM)電解槽は、膜と触媒の間の接続面が弱いため、非効率で耐久性を欠いています。量子コンピューティングなら、さまざまなエネルギー状態をシミュレートし、効率性を向上させる一方で、さらに化学的に親和性のある膜や触媒を特定することができます。ある研究者のグループは、クラスター展開と呼ばれる方法で、何十京もの物質設計を分析することができました。その結果、このチームは、アンチモン、マンガン、酸素、ルテニウムそしてクロムから構成される全く新しい一連の物質にたどり着きました。これは、現在市場に出ている合成物よりも触媒の活動を8倍高めることができます。[7]グリーン水素製造の効率性が100%になれば、製造コストが1/3になる可能性があります。

産業地球温暖化との戦いにおいて同様に重要なのは建築です。建築が急に止めることはできないからです。私たちの家や工場、道路、病院を作る際に使用されるコンクリートに含まれる非常に重要な結合剤、セメントは全世界で年間40億トン使用されています。

残念なことに、セメントの製造は年間25億トンのCO2を排出しており、全世界合計の約8%にあたります。現時点で、手頃な価格のセメントの代替品はありません。量子コンピューターなら高額な研究費用をかけずに、さまざまな素材の組み合わせをシミュレーションして、耐久性があり、汚染物質を排出しない代替製品を設計できます。これにより、2035年までに排出量を年間で最大1ギガトン削減できると予測している人もいます。

このような予測をすべて並べてみてもなお、量子コンピューティング最大のブレークスルーに、私たちは皆驚かされることになるかもしれません。それを解き放てる技術が、まだ私たちの概念のアンテナで見つけられていないだけかもしれないのです。量子力学は非常に微細なスケールで動作しますが、それが与える影響は地球規模の大きさになることでしょう。

どうしたら量子は世の中のためになり得るのか

人工知能のように賢明に活用されれば、量子コンピューティングには国連の持続可能な開発目標のいくつかでポジティブな成果を促進する可能性があります。飢餓をゼロにすべての人に健康と福祉を安価なクリーンエネルギー産業、イノベーションインフラ、そして持続可能な都市コミュニティといったイニシアチブは、すべて量子テクノロジーからメリットを得られます。

これらは、現在量子コンピューティングで直面しているいくつかの困難に私たちがスマートなソリューションを見つけるだけの価値のある目標です。

例えば、現状、多くの量子コンピューターは、-273℃の極低温冷凍庫の中で動作しており、この極低温という要件のために、いまだに通常のコンピューターよりも多くの電力を消費しています。[8]パイプラインの中の量子コンピューターであれば、キュービット全体を冷却する必要性を回避できる可能性があります。例えば、ORCA Computing(オルカコンピューティング)の量子コンピューティングシステムでは、極低温に冷やすことなく、常温で単一光子をキュービットに使っています。イオントラップ型の量子コンピューティングも同様に、それほど極端な温度でなくとも動作し、最小限の電力で情報を処理でき、またほとんど熱を発することもありません。[9]ある研究では、量子コンピューターは、従来のスーパーコンピューターと比較すると、最終的に20桁以上エネルギー使用量を削減できる可能性があるとのことです。[10]

他にも疑問は残ります。量子コンピューティングが、裕福な国と貧しい国の間にある富の分断を深めるのではないでしょうか? 新規参入には手が届かない金額の業界にすることで、現在の企業を過度に保護することになるのではないでしょうか? 世界的景気後退、コロナ禍、AIという三段攻撃でいまだに揺らいでいる労働市場に、量子コンピューティングはどのような影響を及ぼすのでしょうか? そして、量子の恐るべき計算能力によって、現代の暗号化水準が使い物にならなくなり、データやプライバシーに関する要求が無視されることにはなりませんか?

量子コンピューティングが少数の人たちだけではなく、多くの人にメリットをもたらすことができるようにするため、政府がその役割を果たす必要があります。高等教育の研究プログラムの発展支援と資金提供を行う必要が政府にはあります。特に現状支援が不足している資金難の分野(二酸化炭素の回収など)や人道的プロジェクト(災害予測など)を中心に支援しなければなりません。IBMと英国政府による進行中のコラボレーション[11]、オランダの官民パートナーシップQuantum Delta(クォンタムデルタ)、あるいは2021年に米国と英国によって立ち上げられた量子科学とテクノロジーのジョイントベンチャー[12]など、パートナーシップのテンプレートはすでに存在しています。

私は、量子コンピューティングという上り坂の麓に今の私たちがいるように感じています。しかし、見上げれば、私たちを待つその頂上はすでに視野に入っています。この高みに向かって私たちが選ぶルートが誰にとってもアクセス可能であり、その目標が誰にとっても実りあるものであるように、私たちは官民を通して開かれた対話を行う必要があります。量子テクノロジーは、金融や国家保障から、電気通信や工学技術まで、社会全体に大きな変化をもたらすことになるでしょう。「量子優位性」(従来のコンピューターをしのぐパフォーマンスを実現すること)がある状態に至る頃には、量子コンピューターが、私たち全員の存在に関わる脅威である気候変動を止めるあるいは、元に戻す可能性すらあります。

最適化、シミュレーション、そして量子強化学習。量子コンピューティングという革命的なパワーで、3つのシンプルなコンセプトが力を得ました。これらが世界を救うことはないかもしれません。しかし、確実に世界に変化を与え続けていくことになるでしょう。

 

[1] https://www.mckinsey.com/featured-insights/mckinsey-explainers/what-is-quantum-computing

[2] https://www.iberdrola.com/innovation/what-is-quantum-computing

[3] https://prod.ucwe.capgemini.com/wp-content/uploads/2022/10/Quantum-Technologies__Sustainability_20-09-2022_final.pdf

[4] https://www.mckinsey.com/capabilities/mckinsey-digital/our-insights/quantum-computing-just-might-save-the-planet

[5] https://www.mckinsey.com/capabilities/mckinsey-digital/our-insights/quantum-computing-just-might-save-the-planet

[6] https://www.mckinsey.com/capabilities/mckinsey-digital/our-insights/quantum-computing-just-might-save-the-planet

[7] https://www.powerengineeringint.com/hydrogen/quantum-computing-techniques-reveal-improved-catalyst-for-green-hydrogen/

[8] https://projectqsydney.com/could-quantum-computing-help-curb-ais-carbon-footprint/

[9] https://www.techuk.org/resource/could-quantum-computing-hold-the-key-to-sustainability.html

[10] https://www.ornl.gov/news/energy-quantum-computing-efficiency

[11] https://newsroom.ibm.com/2021-06-03-UK-STFC-Hartree-Centre-and-IBM-Begin-Five-Year,-210-Million-Partnership-to-Accelerate-Discovery-and-Innovation-with-AI-and-Quantum-Computing

[12] https://www.whitehouse.gov/ostp/news-updates/2021/11/04/the-united-states-and-united-kingdom-issue-joint-statement-to-enhance-cooperation-on-quantum-information-science-and-technology/