世界を救う技術か、単なる過度の期待か——。水素エネルギーの歴史は、まだ進行の真っ只中です。

水素に関する意見は、天気のようにめまぐるしく変わります。水素の製造工程は依然として化石燃料への依存度が高いことから、二酸化炭素排出量の増加の一因でしかないと揶揄する向きがあるかと思えば、人類が日々の暮らしで依存する産業の多くを脱炭素化へ導き、ネットゼロ目標を達成する重要なカタリストだと賞賛する意見もあります。

一体、真実はどこにあるのでしょう? 仮に環境問題が解決できるとして、水素は化学・精製セクターの制約を受けることなく、世界のエネルギーミックスの重要な構成要素になり得るのでしょうか?

その微妙なラインは、世界の需要を満たす水素製造の方法にあるかもしれません。

まずは、最も環境に有害な水素製造から見てみましょう。

  • 水蒸気メタン改質(SMR:水蒸気を使用してメタンガスを水素と一酸化炭素に変換する方法です。現在、最も広く普及している製造方法で、水素1kgの製造につき約8〜10kgの二酸化炭素を排出します[1]
  • 石炭ガス化:SMRと同様の原理で、石炭と蒸気を反応させて水素と二酸化炭素を取り出す方法です。石炭ガス化技術は特にエネルギー消費量が高く、水素1kgあたり約14~15kgの二酸化炭素を排出するため、環境への負荷もその分大きくなります。

上記の製造方法で生成された水素は、一般に「グレー水素」と呼ばれます。

一方で、クリーン水素を製造するための最適解は、私たちの身近に存在します。ズバリ「水」です。

  • 電気分解:電気を使用して水を酸素と水素に分解するプロセスで、水素1kgあたりの製造で排出される二酸化炭素量はわずか1〜2kgです。また、関連技術として次の光分解も挙げられます。
  • 光分解:太陽エネルギーのみを使用して水を分解して水素を製造する方法で、二酸化炭素が発生しません。

電気分解や光分解で製造した水素は「グリーン水素」と呼ばれます。専門家や環境活動家が環境に優しい未来のエネルギーミックスの主体として想定しているのは、この水素です。

Graph showing options for producing hydrogen

クリーン水素の製造技術がすでに存在しているのに、私たちはなぜ今でもグレー水素に固執しているのでしょう? その大きな原因はコストにあります。

現在、グリーン水素の製造コストは水素1kgあたり4~6米ドルで、SMRや石炭ガス化技術の2~3倍です[2]。世界がエネルギー不足と経済縮小に悩む中、水素は商業的に実行可能でスケーラブルな代替エネルギーの座を争っています。

水素パワーの活用

水素の需要が増加し、よりクリーンな製造方法が普及すれば、水素は脱炭素経済における重要な役割を果たす可能性があります。特に、従来から脱炭素化が難しいと言われてきた運輸重工業などの産業に大きな影響を与えるでしょう。

2021年に発表された国際エネルギー機関(IEA)の2050年ネットゼロ排出シナリオによると、再生可能エネルギー、電動化、二酸化炭素回収技術などの重要な戦略に加えて、水素も気候変動緩和策の6%を占めると予測されています[3]

Pie chart showing Cumulative現在は、世界で規制が統一されていないことや、インフラ不足などの理由で水素への需要は伸び悩んでいます。しかし、こうした障壁を取り除くことができれば、世界的な水素需要は急増すると見られています。クリーン水素エネルギー市場は、2030年までに6,420億米ドル、2040年までに9,800億米ドル、2050年までに1兆480億米ドルに達すると予測されています[4]

現在、重工業と長距離運送業が世界の水素使用量に占める割合はわずか0.1%に過ぎませんが、今後水素への需要が急増すれば、水素エネルギー市場の大きな割合を占めるようになる可能性があります。2050年までに、脱炭素化が難しいと言われてきたセクターが世界の水素市場の約3分の1を占めるようになることが見込まれているのです[5]

水素のメリットは、大きく分けて3つあります。

  1. 微小粒子状物質による大気汚染が原因で年間400万〜1,000万人が死亡している中、空気の清浄化を実現できる[6]
  2. 水素はどこでも製造が可能で、地理的制約のある化石燃料への依存を軽減できる
  3. 水素は長期的な貯蔵が可能なため、再生可能エネルギーの供給量の変動を吸収し、より柔軟で安定したエネルギー供給ができる

現在、水素社会の未来に向けて世界的に法制度の整備が進んでいるようです。各国でさまざまな政策が出現しており、他の国々もそれを参考にすることで水素の普及が進むことが期待されています。

官民のパワープレイ

水素社会に向けて先陣を切っている中国は、昨年から新たに750MWの水素電解装置の建設を進めています。これが完成すれば、2022年時点で稼働中の設備容量(220MW)を大きく上回ることになるでしょう。もちろん、これは中国だけの動向ではありません。各国でも同様の取り組みが進んでいます。

  • インド:2023年に国家グリーン水素ミッションを導入。2030年までに電解槽製造における世界一を達成し、年産500万トンのグリーン水素生産を目指す
  • 英国:低炭素水素の基準値に基づく規制が公式に発表されたことを受け、2023年に初の水素電解プロジェクト契約を締結
  • 米国:インフレ削減法(IRA)でグリーンエネルギーの開発を促進するための大規模な予算(3,690億米ドル)が組み込まれ、クリーン水素の製造に対する金融インセンティブ制度の正式な導入が決定
  • EU:2023年、欧州水素銀行(European Hydrogen Bank)主導のグリーン水素プロジェクトにおける初の競争入札を実施。スペイン、フランス、ドイツは2030年までに国内で4〜5GWの水素製造を目指す意欲的な目標を掲げている[7]

同様に、民間セクターでも水素を支持する国際的な機運が高まっています[8]

英国に本拠を置く水素・電気ハイブリッドシステムメーカーのProton Motor Power Systems(プロトンモーターパワーシステムズ)は最近になり、陸上、鉄道、海運に応用可能な最先端の90kW発電パックを発表しました。また、韓国でも天然ガス大手SK E&Sが韓国南部発電とグリーン水素とアンモニアを利用する発電契約を締結しました。日本も東芝エネルギーシステムズ株式会社がスウェーデンの船舶向け電池・燃料電池システムの開発・製造・販売を手がけるEchandia(エンチャンディア)と提携し、純水素燃料電池システムを活用した船舶の共同市場開拓に関する検討を行うことを発表しています。

上記のようなブレイクスルーは、近年大きな話題を呼んだ数々の取り組みを基盤としています。フランスの大手自動車メーカーGroupe Renault(ルノー)は、米国のPlug Power Inc(プラグ・パワー)と大西洋を横断する取引を結び、欧州全域の輸送市場で水素自動車ソリューションを推進するための合弁事業を設立することで合意しました。

こうした先進的な事業により、グリーン水素プロジェクトの大規模な展開が進んでいます。一方で、水素の持続可能性に限界がないのか疑問が残ります。より環境に優しい未来を実現する上で、水素は本当に大きな貢献を果たすことができるのでしょうか?

今後の課題:コスト/CCUS技術の実証性

水素はまだ、風力や太陽光エネルギーほど「主流」ではありません。その理由は複数あります[9]

先に述べたように、水素は製造方法によって区分されており、グリーン水素の製造にはとりわけ大きなコストがかかります。では、水素製造施設と排出された二酸化炭素を地中に貯留して、地球環境を守るCCUS(二酸化炭素回収・有効利用・貯留技術)を組み合わせた「ブルー水素」はどうでしょう?

ブルー水素1kgあたりの製造コストは1.80〜4.70米ドルで、グレー水素の0.98〜2.93米ドルを大きく上回ります[10]

また、CCUSは高額なだけでなく、実用規模での有効性がまだ実証されていません。

国際エネルギー機関(IEA)、国際再生可能エネルギー機関(IRENA)、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)などの環境団体は、1.5°C目標の達成に向けて、急速なCCUSの拡大を見込んだ長期的なエネルギー予測を発表しています。この期待が外れるリスクはあるのでしょうか?

カナダのアルバータ州にあるShell(シェル)のQuest(クエスト)施設は、CCUSの可能性を示すシンボルとしてよく賞賛を浴びています。しかし、Quest施設の二酸化炭素の回収率は50%未満だとの報告があります。CCUSの支持者は回収率として約90%を主張していますが、それには遠く及びません。総合的な温室効果ガス排出量を含めると、Quest施設のカーボンフットプリントはガソリン車約120万台に相当するとの推定もあります[11]

回収された二酸化炭素は、液体に圧縮されて陸路/鉄道/海路経由で輸送され、地下深くの地質層に注入されます。この過程で、さらに二酸化炭素が排出されます。

回収した二酸化炭素を地下に貯留するのではなく、産業用に再利用することを提案する人もいます。しかし、二酸化炭素をプラスチックや建材などの製品に変換するカーボンリサイクル技術は、その大半が机上の空論にとどまっています。

もちろん、CCUSが全く役に立っていないわけではありません。例えば、世界の二酸化炭素排出量の約7%を占めるセメント産業において、CCUSは大幅な二酸化炭素削減を実現できる数少ない手段となっています[12]。欠点を抱えながらも、CCUSは気候変動対策として大きな存在感を示しています。2022年のプロジェクトパイプラインには新たに61基のCCUS施設が追加され、現在世界で開発中の施設数は150基を超えました。

しかし、「ブルー水素」が経済面や環境面の問題を克服し、世界を救うソリューションとして確立されるまでにはまだ遠い道のりがあります。

表面の下をよく覗いてみると、水素の普及には多くの難題が隠れていることが分かります。

市場で水素の存在感を高めるには、どうしても莫大な投資が必要です。2050年までに世界のエネルギー需要の5%を水素でまかなうには、7兆米ドル以上のコストがかかるという試算もあります。その大半を占めるのは、新しいパイプラインとアンモニアターミナルの開発です[13]

同様に、エンドユーザーにも大きな負担がかかります。

企業がメタンから水素に移行するためには、機械設備に膨大な費用がかかります。製鉄の場合、再生可能エネルギーを使用するグリーン水素に切り替えると、従来の炭素ベースの技術に比べてコストが35%〜70%増加する可能性があります[14]

また、ガソリン車から水素自動車への移行も経済的に実現可能とは言いがたいのが実情です。ただし、用途別の水素燃料電池自動車(FCEV)には引き続き期待が寄せられています。

 

水素自動車の進展の停滞

世界中の高速道路で、水素燃料電池電気自動車(FCEV)の数が急増しています。2022年には前年比40%増を記録し、最近では販売台数が7万台を突破しました[15]。2022年におけるFCEVの新車販売台数は2万500台で、その約4分の3は自動車です。これには、Abdul Latif Jameel(アブドゥル・ラティフ・ジャミール)の長年のパートナーであるトヨタ自動車のMIRAI(ミライ)第2世代モデルも含まれます。

最も販売台数が多い国は韓国(全体の3分の2)で、次に米国、中国、日本、そしてドイツが続いています。世界中の水素ステーションの数は1,000ヶ所を超え、その多くはこの5ヶ国に集中しています。公共セクターの積極的な支援により、今後もその数は上昇すると見られています。例えば、米国のカリフォルニア州では2025年までに160万台のゼロエミッション車を導入する戦略の一環として、水素ステーションを100基追加するための出資を行っています。

Graph showing hydrogen fuel cell market

その結果、2022年に世界の燃料電池電気自動車(FCEV)市場は約10億米ドル規模まで拡大しました。現在から2032年まで52.9%の年平均成長率(CAGR)を記録し、市場価値は約696.1億米ドルに達する見通しです[16]

それでも、FCEVの最新の販売台数は従来の電気自動車やハイブリッド車(EV)を大きく下回ります。2022年には、EVの販売台数は前年比50%増を記録し、販売台数は1,000万台を超えました。

充電速度の面では水素の方に軍配が上がります。水素自動車の充電は数分で済む一方、EVは30〜60分かかります。しかし、EV市場ではバッテリー交換がトレンドに浮上しつつあります。中国では約2,000ヶ所の交換ステーションが稼働しており、2022年にはバッテリー交換式EVトラックの販売台数が1万2,000台に到達しています。[17]バッテリー交換式のEVが水素自動車の販売にどの程度の影響を及ぼすかは、数年すれば明らかになるでしょう。

水素は経済や物理的な面で難題に直面しています。

再生可能エネルギーで水を電気分解して水素を製造する場合、分解プロセスで30%の潜在的なエネルギーロスが発生します[18]。燃料デポへの輸送中にさらに26%のエネルギーロスが発生することを考慮すると、市場に届くまでに約半分の水素エネルギーが浪費される計算になります。それとは対照的に、充電ステーションへの送電で発生する電力ロスはわずか5%です。だからと言って、現場で水素を製造することはほぼ不可能です。電気分解プラント設置には、1基あたり数百万米ドルのコストが発生するからです。

以前は水素燃料電池トラックを推進していたVolkswagen(フォルクスワーゲン)傘下のSCANIA(スカニア)のトラック部門が、2021年以降はバッテリー式電気自動車に注力するという決定を下した背景には、水素特有の効率の悪さがあったようです[19]

一方、Tesla(テスラ)もEVトラックの開発に注力し、ディーゼルや水素燃料電池ベースの大型トラックに対抗しています。2023年末に発売された同社の大型EVトラック「Tesla Semi」は航続距離が500マイル(約805km)で、1マイル(約1.6km)あたりの電力消費量は2kWh未満です[20]。Teslaは2024年から年間5万台のSemiトラックの生産を目指し、1億米ドルを投入して全米に充電ネットワークを整備する予定です。こうした動きも、水素自動車の夢を阻むかもしれません[21]

水素は希望か幻か? 正確な分析が求められる理由

水素に対する過大評価は是正する必要があるものの、コンセプト自体を放棄するのは早計です。水素が成功するか否かは、関連技術の影響もあることを受け入れる必要があります。

CCUSの性能の突然の改善や、再生可能エネルギー容量の急増により、電気分解によるクリーン水素の製造コストが大幅に低下する可能性も捨てきれません。

また、電解槽自体も希望をもたらすかもしれません。国際再生可能エネルギー機関(IRENA)の分析によると、電解槽のコストは2010年以降60%低下しており、短期的にはさらに40%、長期的には80%の低下が見込まれています。生産能力の向上や標準規格化に伴う規模の経済により、グリーン水素の最終コストが1kgあたり2米ドルを下回る可能性は十分にあります[22]

electolyser scale-up

 

気候変動対策は依然として時間との戦いです。2023年が記録的な猛暑だったことが正式に発表された今[23]、いかなる気候変動緩和策も諦めるわけにはいきません。

今こそ、未来のエネルギー情勢における水素の可能性について検討し、その実現可能性について誠実な議論を重ねるべきでしょう。

[1] https://www.hydrogennewsletter.com/gh2-facts/

[2] https://www.irena.org/-/media/Files/IRENA/Agency/Publication/2020/Nov/IRENA_Green_Hydrogen_breakthrough_2021.pdf

[3] https://www.iea.org/reports/net-zero-by-2050

[4] https://www2.deloitte.com/content/dam/Deloitte/global/Documents/gx-green-hydrogen-executive-summary.pdf

[5] https://www.iea.org/energy-system/low-emission-fuels/hydrogen#programmes

[6] https://www.bmj.com/content/383/bmj-2023-077784

[7] https://www.forbes.com/sites/ianpalmer/2023/05/30/hydrogen-is-ramping-up-in-the-energy-transition-but-it-may-be-oversold

[8] https://www.precedenceresearch.com/hydrogen-fuel-cell-vehicle-market

[9] https://www.forbes.com/sites/ianpalmer/2023/05/30/hydrogen-is-ramping-up-in-the-energy-transition-but-it-may-be-oversold

[10] https://about.bnef.com/blog/green-hydrogen-to-undercut-gray-sibling-by-end-of-decade/

[11] https://www.globalwitness.org/en/blog/problem-hydrogen/

[12] https://www.lse.ac.uk/granthaminstitute/explainers/what-is-carbon-capture-and-storage-and-what-role-can-it-play-in-tackling-climate-change/

[13] https://www.forbes.com/sites/ianpalmer/2023/05/30/hydrogen-is-ramping-up-in-the-energy-transition-but-it-may-be-oversold

[14] https://www.lse.ac.uk/granthaminstitute/explainers/what-is-carbon-capture-and-storage-and-what-role-can-it-play-in-tackling-climate-change/

[15] https://www.hydrogeninsight.com/transport/the-number-of-hydrogen-fuel-cell-vehicles-on-the-worlds-roads-grew-by-40-in-2022-says-iea-report/2-1-1444069

[16] https://www.precedenceresearch.com/hydrogen-fuel-cell-vehicle-market

[17] [17] https://www.hydrogeninsight.com/transport/the-number-of-hydrogen-fuel-cell-vehicles-on-the-worlds-roads-grew-by-40-in-2022-says-iea-report/2-1-1444069

[18] https://www.forbes.com/sites/jamesmorris/2021/02/06/why-are-we-still-talking-about-hydrogen

[19] https://www.rechargenews.com/energy-transition/after-plotting-battery-electric-future-truck-maker-scania-hedges-bets-with-new-hydrogen-vehicles/2-1-1200800

[20] https://www.forbes.com/sites/qai/2022/12/08/how-powerful-is-teslas-new-semi-truck

[21] https://insideevs.com/news/672016/tesla-semi-volume-production-wil-not-start-until-late-2024/

[22] https://www.irena.org/-/media/Files/IRENA/Agency/Publication/2020/Nov/IRENA_Green_Hydrogen_breakthrough_2021.pdf

[23] https://www.theguardian.com/us-news/2024/jan/03/2023-hottest-year-on-record-fossil-fuel-climate-crisis